遠廻りの途中
北極点の上空を通り、東京へと向かう。
3km上空から、あの海に飛び込んだらどれだけ冷たいのか、そもそも氷で覆われていて飛び降りても着水すらできないのにも関わらず(そもそも飛行機から外に出ることすらできない)馬鹿なことを想像しながら機内サービスのお茶を飲む。
ウクライナの戦争の影響でヘルシンキ→羽田のロシア上空を通るルートは変更され、
以前よりも約4時間の航空時間の延長とともに、ロシア上空を避けた北極海を跨ぐルートに変わっている。

フィンランド人の若手建築家として東京の内装デザインの依頼を受けたのは2年前それから幾度となくヘルシンキ、東京を往復しその度に上空から北極海を眺めていた。
依頼の内容は東京に作る会員制プライベートサウナのデザインだった、今の日本は空前のサウナブームが来ている、その中でもフィンランド式のサウナは人気が高く、これまであった日本式の遠赤外線サウナ以上に人気が高いという。
流行りが来たのは今より3年前ほどで、ドラマや漫画、インフルエンサーを中心にトトノウ(整う)というキーワードとともに、フィンランド的なロウリュ式サウナ、水風呂、休憩のサウナルーティンが一般に浸透していき、それにより公衆浴場(銭湯)に付帯しているサウナが混雑するとームを巻き起こした。
そして同時に混雑なく、贅沢にゆったりと入れるサウナが求められ、今東京では空前のプライベートサウナブームだという。そんな中、知人を伝って私の元に入ったのがこのプロジェクトだった。

スピードとタイミング
私は母が日本人、父がフィンランド人のハーフとしてヘルシンキに生まれ、人生のほとんどをフィンランドで過ごしている、3年前にヘルシンキの大手建築事務所を対処し自分自身の建築設計事務所を立ち上げた、立ち上げた最初の頃こそ仕事に苦労することもあったが、大学での講師をしたり、知人の家を建てたり、国際コンペに応募したりとそれなりに忙しくしていた。
東京のサウナ施設の話を聞いたのはそんな中、大手設計事務所時代の同僚が東京のクライアントから日本でのサウナブームの話を聞いた時に「自分の元同僚に日本人とフィンランド人のハーフの建築家がいる」という話をしたのがきっかけだった。
私としても母の故郷である日本でのプロジェクトには興味があり、他の同世代のおそらく世界中の子供達と同じように、キャプテン翼、ドラゴンボール、ガンダムなどを見て育った私は母親が日本人であることを抜きにしてもしっかりと親日家だ。
一方で母を通じて日本の歴史、作法、表現の裏にある日本人独特の含みを理解しているからこそ日本人のコミュニティへの苦手意識も存在する。それは「決して嫌いになってはいけない好きなもの」をあえて遠ざける行為に近い。
その上でこの仕事を受けた理由は、お金のためというよりも、プロジェクトの性質上フィンランドの文化性が求められていた事とともに、初回にあった時に口頭で提案を行なったフィンランド文化と日本文化の融合というテーマは私にとって今後自分のデザインを追求していくにあたって重要なことに思えていたからであった。

母は父と大学時代に出会った、母はバレエダンサーとしてフィンランドに留学に来ており、父は大学で建築学を専攻していた。カフェテリアで出会った二人は意気投合し、大学卒業と同時に父は建築事務所へ勤め始めるとともに、母と結婚した、母は最後までプロのダンサーになることなく、程なくして私が産まれ家庭を支えていくことになる。
母方の祖父は日本における有名な舞踏家で、私が生まれた頃にはその活動はリタイヤし、祖父の地元である鳥取県にて祖母と暮らしていた。祖父母は最後まで結婚に反対していたと聞いている。祖父は母にダンサーとしての舞台に立つことを期待していたが、娘の大学卒業と同時に結婚というスピード感に母曰く、「戸惑っていた」らしい。
最終的には祖父母が折れる形で二人は結婚し、フィンランド国籍を取得、私が産まれ、私が大学へ行くまでの間、フィンランドの手厚い福祉に助けられつつ私を家の中で育ててくれた。海外での留学や留学先での結婚などいわゆる典型的日本人ではない先進的な行動をする一方で、結婚後の生活は子育てと父を支えるという典型的な保守的な日本人女性だった。母には結婚の際の祖父の戸惑いが理解できていたようだった、決して自分自ら冒険的な選択をする性格ではない母が、大学からの結婚というスピード感のある決断をしたことに。
含みの中にある笑顔
そんな母に連れられて幼少期に鳥取県に1週間ほど滞在した事がある。
当初父と家族3人での滞在の予定が父に急な仕事の対応が入り1ヶ月の日本滞在のうち最初の2週間を鳥取の祖父の実家で過ごすという予定に父が10日間遅れて参加するということになった。祖母は父が「祖父に会うのを怖がったなんでしょうと」笑いながら言っていたけどそれに対して誰も笑っていなかったのを覚えている。
その日の晩に夕焼けを見に母と砂丘に行った、母も父がいない状態で家にいづらかったのかもしれない。夕焼けを見に行ったもののすぐに夕焼けは砂の山の向こうに沈んでおり、赤紫の空が夕焼けの余韻だけを映し出していた。同時に反対側の空には濃い青紫色が広がりいつくかの星がこれから来る長い夜と深い日本海の空気を表現していた。

しばらく母と海を眺めていると祖父が遠くから真っ直ぐにこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
祖父は寡黙な人だったが一人娘の母を誰よりも愛していた。母は私に、祖父は母が祖母に叱られていて一人でいじけているとよく母を笑わせるダンスを踊ってくれたことを話していた。
しばらくすると祖父は私と母の座る場所と波打ち際の中間あたりに向かい靴を脱ぎ裸足になった、徐ろに両手をゆっくりと上げ、全身を燻らせる踊りを始めた、幼少の私にとってはさっきまで空を明るく照らしていたお日様が沈むと同時に暗闇の方向からやってきて不思議なダンスを踊る祖父は生きているものなのかも疑うような、霊的な何かのように見えた。しかしそれはお化けのようなものでもなく、生でもなく死でもない何か別世界のようなものを感じたのを覚えている。
それは少なくとも決して母を笑わせるためのコミカルなものには見えなかったが、母と祖父との間には共通の思い出があるのか、母の横顔は心なしか笑っていた。
自分自身の対話と、その先のもてなし
私は、父と同じく建築の道に進み、多くのヨーロッパの建築学生がそうであるようにミニマルな日本の建築に共感し、自分の出自も相まって日本の建築文化を勉強してきた、今回のプライベートサウナのプロジェクトにおいては当初のアイデアから茶室を取り入れられないかを検討し、同世代の茶人のアドバイスを受けながら作り込んでいった、内装のプランにおいてはサウナ室と、茶室を行ったり来たりするにあたり水風呂に橋がかかっているような空間構成を提案した。
サウナに入るという行為はある種死に近づく行為とも言える。人が生きていくことのできない熱の中に身を置き、観戦から噴き出る汗を待つ。体の深部が温まる時間を自分の感覚を頼りに数え、呼吸をに耳を傾ける。これ以上はいられないというところでサウナのドアを開け、冷たい水に浸かる。冷水の中では皮膚の表面が温めた体の芯の体温を逃が住まいと強張る。ある種の無謀な環境の中で自分の体と対話する行為と言える。
また一方でその行為の最中、様々なことを思い出す、おそらく自分にとってより重要な事を思い出しているように感じる。日本で言う走馬灯に近いものかもしれない、水に浸ることでその走馬灯に出てくる景色をしっかりと体の中に閉じ込める、その後で休憩する時間は自分自身を見つめ直す、と言うよりも肯定し直す行為に近く、その時間を誰かと過ごした時にその人に対して優しくなれる感覚をもつ。
自分自身に対する疑いを拭い去り、本当の意味で相手のことを思いやることのできる時間という意味では茶道の精神に近いと感じている。
あのあと、一通り踊り終えた祖父は驚いた顔をしている私を安心させるように笑って見せ、力強く抱き抱えては肩車をしてくれた、3人で実家に帰った後の風呂と食事がそれまで体験した何よりも暖かく感じたことを覚えている。
最短距離の国際線
窓の外は北極の氷を抜けて水を挟んでフィンランドと日本、コンセプトとしてはサウナで作ったインテリアプランのようだが、以前のルートより4時間近く長くなった航路は体への負担が大きい、空港について渋谷のホテルに行くより前にまずは作ったサウナに寄ろうと思う。デザインのチェックを言い訳にゆっくりと身体を癒す、飛行機の外に出て、今度は自分が飛行機になってフィンランドと日本を往復しようと思う。


